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考え方

 気付いたんだけどさ、思考の飛躍が得意な人もいれば不得意な人もいる。これはとてもいいことなんじゃないかな?

 

 『厳密な思考はわかりやすい。一見難解な概念や理論が使われていても、一つ一つ順を追っていけばわかるように書かれているからだ。それに対して、いわゆる「わかりやすく」書かれている書物は、実はわかりにくい。一見簡単に見えても、ところどころに思考の飛躍や掘り下げた思考の省略があるからだ。』

 

 みたいなツイートを読んでさ、この人は本当に1から順を追っていかないと考えることもできない馬鹿なんじゃないかと最初は正直思ったの。自分はすごく思考の飛躍や説明の省略をするタチだからさ。

 でも、どっちかが優れていてどっちかがダメ、ってことではなくて、それを必要とするところと、そうでないところがあって、お互いができないところで各々が活躍できると思えるようになったんだ。

 数学者は論理構築のために厳密な思考をして、理解、表現しないといけないかもしれないけれど、統計学を金融に利用することは公理から導かなくても、道具として使える程度まで飛躍した思考で理解することが求められているのではないかな?

 難解な文章を理解できる人が頭のいい人なのだろうか、わかりやすく書かれた文章から得た知識を使って、何かほかのところにアプローチをかけられる人達は学者とは違った意味で頭がいいはずだ。逆に難しい文章を解読することに必死になっている人達もいる。彼らは何か、彼ら自身で価値を想像したのだろうか。難解な知識をひとより多く持ち合わせているだけで頭がいいといえるのだろうか。

 

 学者に向く人は思考の飛躍に向いていないだろう。逆にアカデミックに向かないからといって馬鹿だとは限らないし、いい意味での「思考の飛躍」というものも確かにあるはずだ。そのくらいでいいんじゃないかな?その程度。

これって本当に気付いてよかったし、素敵なことだと思うんだ。

 

……素敵だと思わない?