服について

 

 服について話そう。

 

 僕は自分の見た目について、それを表現する一番のツールである服について一切の妥協をしない。したくない。

 しかし、学生であるからには収入はほとんどなく、限られた資産の中で最大限のパフォーマンスをしてくれるコスパのいい服を求むべく、古着屋で発掘作業に精を出している。

 もし、資金に余力があるのであれば、私もある程度ちゃんとした店で、自分の体に合った仕立てのものを買いたいわけで、そうなるとやはり新品を買いたい。元々私の買う古着は「古着らしくない」ものが多く、単純に「節約してオシャレがしたい」からだ。新品で買ったら15,000円程度はするであろうシャツを5,000円で買えるから買うのであって、多少の使用感はあれど、それすらもなるべく少ないものを選ぶ。

 

 そんな私は百貨店や高級USED店の店員が着ている服を見るたびに、「とても格好いいな、羨ましいな」と思う。そういうところで働いている人は大抵とても身なりに気を使っていて、身嗜みに対する意識が高い。清潔で、外見が(総合的にとても)オシャレだから特にそう感じるのだろう。

 

 自分もそういった服を将来的には着たいと思う。格好よく、気持ちのいい見た目になりたいと思う。だが、それと同時に「彼らの着ている服が彼らの手取りに(あるいは年収に)不相応なものなのではないか」という考えが浮かんできてしまう。浮かんできてしまうとそれはたちまち頭の中いっぱいに膨れ、覆いつくす。そうなってしまうと、私はとても複雑な心境になってしまう。

 ようは「見栄を張っているだけでは?」と思えてきてしまうのだ。

もちろん、売り手として当たり前のことをしているだけなのだけれど、彼らは限られた生活費のうち、少なくない金額を服に費やすことになる。それがいいことなのか悪いことなのかは私にはわからないが、少なくとも私のポリシーにはそぐわないようだ。

 

 少し話がそれるが、私は自分を囲むもの、自分の生活を彩るものをとても大切にしたいと考えており、よいものを使いたいと思ってる。それは値段じゃなく、長く使えるかであり、素敵なデザインかであり、自分がそれに愛着を持てるかだ。もちろん、そういったものは相対的に値段の高いものが多くなってしまうのだが、そうばかりとも限らない。

 そして現在の自分よりも少しだけ背伸びしたものを使うようにしている。これは身の回りのものに自分の価値を引き上げる為であり、次のステージに行くための手助けをしてもらうためだ。そう考えて私は使うものを選ぶ。

 

 話を服に戻そう。私が店員たちに違和感を感じるのは自分の社会的ランク(これはわかりやすく言えば年収であり、信用度であるが、厳密にいえば社会貢献度であり価値提供スキルであると考える。が、長くなるのでまた別の機会に書こう。)に見合っていないと感じてしまうからだ。先ほどの背伸びしていいものを買う話でいうと、背伸びどころでなく高さが違いすぎて滑稽に見えてしまうということだ。ギターで言ったら初心者の高校生が100万もするオールドギターを最初の一本にした。みたいな状況だろうか。

 あらためて、私が店員の服に対してもやもやとした違和感を感じずには入れれないのは、身の回りのものについて、上記のような価値観をもとに行動しており、やはり『服に対する思い入れが強い』からだろう。服装、身なりに対して、身の回りのものの中でも特別な思い入れがあるからなのだろう。

「もし自分がそういった服を着るとするならば、いくらぐらい稼いだ頃で、それは自分が何歳になった頃だろうか?いい歳になってもまだ、服にお金を注ぎ込む気力が残っているだろうか?そもそも、異性に好感を持たれるため(あるいは不快に思われないため)に容姿を気にしているのに、私はずっとまともに彼女の1人も出来たことがないではないか。しかし、気にしなくなったら現状よりひどい結果になることは目に見えている…。」

 そんなこんなを考えると、仕立ての良い服選び、あるいは将来の高級な服選びについて僕はナーバスな気分になってしまう。 

 しかし、同時に早く社会人として一歩目のステップを、次のステージに上がるための一歩を、早く踏み出したいを思う。

 

2017/09/15